その1


はじめに(平成4年10月20日)

 川越ほどのイモの町にも、むかしからサツマイモ料理の専門店は1軒もなかった。川越っ子の神山正久氏(1953年生まれ)は、それを残念なこととし、その種の店を一気に開いた。1982年開店の「いも膳」がそれだった。

 幸い同店は着実に発展、1989年にはその敷地内に「サツマイモ資料館」を新築、無料公開するまでになった。

 わたしは縁あって今春、つまり1992年の春からここに勤めさせてもらっているが、世界に類例のない資料館だからであろう、来館者も、問い合わせも多い。とくにサツマイモシーズンの秋には、マスコミからの問い合わせ電話が朝から夜まで鳴りっ放しの日さえあった。

 サツマイモの文化史の研究をライフワークとしているわたしにとって、ここは願ってもない城だが、それだけに責任も重い。そこで付けたこともない日記を、着任早々から付け始めた。そして早くも半年たったので、古い方から順次、その1部を発表させて頂くことにした。

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レプリカ(平成4年4月9日)

 当館の入館者の多くは女性だが、時に男性だけのグループが来ることもある。

 彼等は大声で思ったまま、感じたままのことを言うから面白い。今日も数人の40代の男だけのグループが、展示中の生イモ、20数種類を前に、こんな言い争いを始めた。

「これ本物?」

「バカ、博物館に本物があるかい。レプリカに決まってらあ」

「でもどのイモにも芽が出てるじゃあないか、本物だよ」

「おれはだまされねえ、でもうまく似せてるなあ」

 女性でこんな疑いを持つ人は一人もいない。

「なんておいしそうなんでしょう」とか、「あら、こんなに種類があったの?ちっとも知らなかったわ」などと、そのまま素直に受け入れる。

 ところが男だと珍らしいものや良すぎるものは、模造品に見えてしまうらしい。そこでこっちはこう言う。

 「どうぞ手に取って見て下さい。二つに折ったてかまいませんよ、代りのイモはいくらでもありますから」

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鎌倉からのグループ(5月6日)

 4月29日から5月5日にかけては、いも膳も資料館もごった返すほど混んだ。その間の来館者で1番印象的だったのは、5月3日に鎌倉から来た中年の婦人、数人のグループだった。

 鎌倉といえば全国有数の文化財都市ではないか。川越がいくら17万石の城下町であり、蔵造りの町並の続く重厚な町だと威張ってみても格が違う。

 その鎌倉からこの混む時に、なんでわざわざ川越くんだりまで来るのだろう、ちょっと理解できなかったのでわけを尋ねてみると、こういうことだった。

 「史跡とか文化財とかなら鎌倉のほうが多いわ。でも鎌倉には、鎌倉だけの食べ物がないの。海のものも、山のものも、なんでもあるけど、『これが鎌倉だ』というのがないの。そこへいくと川越はいいわ、おイモがあるんだもの。

 私たちはそのおイモを急に食べたくなって、『イモ膳』へ来ちゃったの。そうしたら、ここにはおイモの博物館まであるじゃあない。おイモのお勉強までできちゃって今日は最高、またくるわ」

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紅小町様々(6月29日)

 「紅小町」という、かわいい名前のサツマイモがある。農林水産省が1975年(昭和50年)に育成したホクホクのイモで味もいい。青果市場でも家庭でも好評で、最盛時には関東を中心に全国で2000へクタールも作られていた。

 ただツル割れ病にかかりやすく、作りにくいという難点があった.そのため1984年に作りやすく、味もいい「べニアズマ」が育成されると、たちまちそれにとって代わられ、今ではほとんど見かけなくなった。

 当館では様々な生イモを展示し、その特徴を書いた紙を付けている。ただバスで来る団体客は1時にどっと入ってくるので、見学時間に限りがあるので、お目当てのイモが見つからない人もいる。

 今日、川口市からきた50代の婦人の団体の中にもそんな人がいて、「紅小町はどこにあるの?」と聞いてきた。「これです」とその人の目の前にあるイモを示すと「ああ、これこれ。これが紅小町。この頃は八百屋に行っても、べニアズマばっかりになっちゃったけど、ほんとうはこっちの方がおいしいの。紅小町よりおいしいイモはないわ」と、周りの仲間にそのすばらしさを説きだした。

 その持ち上げ方がふつうではなかったので、わけを聞くと、みんなの前でこう話してくれた。

 「うちの主人の育ち盛りは、終戦直後だった。だから食べ物といえばサツマイモしかなかった。それもまずい『オキナワ』(沖縄100号)や『イバイチ』(茨城1号)だったから、すっかりいも嫌いになっちゃったのね。だから結婚した時、なんと言ったと思う?

 『おれは食いもののことについては、なにも言わねえ。ただサツマイモだけは食卓へ乗っけんな!』だったの。

 わたしはそれを聞いて、あきれちゃった。だって昔は昔、今は今。今のおイモはおいしいものばかりじゃあない。それなのに意地になってサツマイモをうらんでいるんだもの。

 でも子供を産んじゃうと、女の方が強くなるわ。わたしはサツマイモが大好きだから、クリーム煮なんかにして、子供たちと『うまい、うまい』と食べだしたの。

 主人はにがい顔をして、そっぽを向いてたんだけど、ある日、子供の食べ残しのクリーム煮を口に入れたの。

 怒られるかなと思ったら、なんとニコッとして『こりゃあうまい』と言ったの。ほっとするやら、嬉しいやら、おかしいやらで思わず『アハハハハ』とみんなで大笑いしちゃった。

 以来、わが家のサツマイモ料理は晴れて解禁になった。その頃の八百屋の一番のお奨めは紅小町で、あのクリーム煮もそれだったの。だからあれは救いの神で、わが家では『紅小町様々』なの」

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