その4


秩父のタイハク(平成4年12月4日)

 当館の生イモ展示コーナーにはさまざまなイモが置いてあるが、昔懐しいものにベニアカ(紅赤。金時とも言う)とタイハク(太白)がある。ベニアカは肉がまっ黄色でホクホク。タイハクはその名の通り肉がまっ白。あまく、ねっとりとしている。べニアカも最近、めっきり少なくなったが、まだ時々八百屋で見ることができる。

 ところが夕イハクは姿を見せなくなってから20年はたっている。そのためであろう、それを知っている世代の人たちは夕イハクを見るとものすごく欲しがる。「ああ懐かしい。1本でもいい、ねえ、ねえ分けて」となる。

 当館には300平方メートルほどの付属農園があり、1品種5〜10株ずつ20種類ほど作っている。タイハクもむろん作っているが展示用でいっぱいで人に分けるほどはない。そこでタイハクを売るほど作っている人を探していたら、うまい人にめぐりあえた。夕イハクは川越地方にはないが 「秩父にはある」という話を前々から耳にしていた。幸いそれを確かめる手掛りがあった。

 「いも膳」のコックさんの一人に横田忠幸君がいる。秩父市の出身でお父さんは同市で鮨屋をやっている。顔の広い人なのでタイハク探しを頼むと心よく引き受け、まる2か月本気で探してくれた。そして秩父市阿保町2ー13の飯島久さんがかなり作っていることを突きとめ、堀りたての夕イハクを1箱(10キロg)見本として持ってきてくれた。

 それは先々月の10月のことだった。これでタイハク入手のメドはたったが、わたしはそれ以上にこのイモにこだわっている飯島さんに会ってみたくなった。

 10年ぶりに秩父夜祭に来たのは、それがあったからだ。昨夜は横田君の家に泊めてもらって夜祭を見物し、今日は同君のお父さんにめざす飯島さん家へ連れて行ってもらった。飯島さんは60歳前後のおだやかなひとだったが、夕イハクのことになると力が入り、一気にこう話してくれた。

 「むかしはタイハクのように身の白いイモがいろいろあったが今はない。みんな黄色いイモばかりだ。だからタイハクを『幻のイモ』だなんて言っている人もあるよ。わしはタイハクがただ好きで作っているが、今この辺でそんなことをしている人はいない。みんな身が黄色のベニアズマ(紅東)だ。

 べニアズマはタイハクよりずっと作りいいし量も取れる。だから夕イハクは消えちゃう。わしはそれが分かった時から本気になった。よし、夕イハクを守ろうと。それをどっかで聞いてくる人がある。横浜から毎年来る人なんかは、もう10年も来ているよ。『夕イハクだけは金で探したって見つからん』とな。

 夕イハクはそんなにうまいイモかって? 食べ方を知ってればうまい。秩父の霜は早いから堀り取りも早く10月中旬だ。それをすぐ食べてはだめ。1〜2か月、物置へでも入れておけばうまくなる。昨夜は秩父夜祭だったがタイハクがうまくなるのはちようどこの頃から。

 ふかすとまっ白な身がねばるようにねっとりとしてくるし、あま味もぐっと強くなる。昔は干し芋といえば夕イハクに決まっていたが、それを作り始めるのも夜祭が終わってからだった」

 飯島さんの家の2階には、泥付きの夕イハク入りの段ボール箱がたくさん大事そうに置いてあった。そしてどの箱にも掘った日と目方とを書いた紙が入れてあった。

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三芳町上富のベニア力(12月10日)

 当館1階の売店では生イモの展示即売もやっている。1年中あるのは鹿児島県知覧町産のべニコウケイ(紅高系)だが、来館者はなによりも川越イモを欲しがる。「川越イモといえばべニアカ(紅赤)に決まっているが、これは年中はない。それは晩生種なので、10月14日、15日の川越祭が終ってからでないと掘れない。この頃になるまで待たないと本当の味がでない。

 それと寒気に特別弱いので正月を過ぎると急に腐りやすくなる。したがってベニアカは10月中旬から12月にかけての僅か2〜3か月しか置けない。わたしは今春、当館に動めることになった時、べニアカを扱うなら「富のイモ」と決めていた。

 「川越イモ」は川越市内産のイモだけではない。川越市周辺の市町村のイモも広く含んでいるが、その中で江戸時代の昔から一番うまいとされてきたのは「富のイモ」だった。 元禄の昔、川越藩主柳沢吉保は、武蔵野台地のまんまん中に上富、中富、下富の3村からなる藩営の「三富新田」を開いた。いずれも名イモの産地として有名だったが、最近はここでもイモ畑が激減してしまい、今なおべニアカ農家が残っているのは上富だけだ。

 ここの知り合いに高橋道夫さん(昭和4年生まれ)がいる。高橋さんは50年もイモ一筋で来た人だし、三芳町がやっているイモ作り教室の専属講師でもある。それに第一、イモがいい。そこで着任早々秋のベニアカを頼みに行くと、「ありがてえな、おれのイモを天下の『イモ膳』さんに置いてもらえるなんて」と大喜びで引き受けてくれた。

 高橋さんが最初のべニアカを持ってきてくれたのは10月24日だった。予想通り評判は上々でわたしも嬉しかった。その高橋さんが今日も自慢のベニアカを持って来てくれて、こんな話をして行った.

 「若いうちは百姓がいやでしょうがなかったが、今となってはイモ一筋で来て良かったと思ってるよ。ベニアカを作っていると、60を過ぎてもみんながなんのかんのと騒いでくれるかんな。これがダイコンやニンジンだとだめだ。どんなにいいものを作っても、だれも騒いではくれないよ。

 イモを作っているといろんな人が来てくれる。『本物の川越イモが欲しい』とな。よくトシを取ると友達がいなくなるという。ところがこっちは逆だ。知り合いがふえる一方だ。

 それにどこへ行っても肩がこらない。『川越でイモを作ってる』だけで通っちゃう。だれでもそう聞くとニコッとなってすぐ『やあ、やあ』の仲になっちゃう。テレビにもよく引っ張り出されるが、イモのことでなら足を引っ張られることがない。村の者も『また出てたな、見たよ』だけだ。サツマイモって、面白えものだなあ」

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