その20


終戦の日の食卓(平成9年8月15日)

 NHKテレビの人気番組の一つに「食卓の王様」がある。昨平成8年4月から始まり、すでに1年以上も続いている。毎週金曜の午後7時40分から8時まで。放映時間は短かいが、密度が濃い。

 さまざまな食材の中から、毎週一つ、何かが取りあげられる。最近のテレビはグルメばかりだ。どの局も毎日競争でおいしい話を流している。その中で「食卓の王様」を見る人が多いのは、食べ物に対する切り口が独特だからである。

 それは3部構成になっている。まずは「うんちく編」。たとえば「ウメ」なら「それはそもそも、これこれこういうものです」となる。視聴者は知らなかったこと、気付かなかったことを教えられ、ちょっと得をした気分になる。

 次は「名人編」。食材の名産地にはそれ作りの名人がいるものだ。この番組のリポーターは「食の旅人」、国井雅比古さん。国井さんが名人を訪ね、苦労話や抱負などを伺う。 最後は「調理編』。食材を活かすも殺すも調理のやり方次第だ。産地の伝統的な食べ方や調理のプロによるアイデア料理などを紹介する。

 今年、平成9年の7月の初め、この番組のディレクター、大古滋久さんが当館に来た。31歳歳という若い人だった。来月、8月の第3金曜日は15日で終戦の日に当っている。普通の日ではないその日にふさわしい食べ物は何になるのだろうと、いろいろ調べ、考えた。その結果、その日はサツマイモしかないとなったのだという。

 食材は常に陽が当つているものもあれば、救荒食のように世の中がうまく行かなくなった時に現われるものもある。最近のサツノマイモは健康食、美容食ということでちやほやされ、華やかなものに見える。だが50余年前のそれは、今とはまつたく違う状態にあった。

 大平洋戦争中から終戦直後の混乱期にかけ、わが国は深刻な食糧難に陥いっていた。それにもかかわらず餓死者をほとんど出さずにすんだのはサツマイモがあつたからだった。「食卓の王様」では、かっこいいものだけでなく、時と場合によってはそうでなくなるもの、すなわちサツマイモのようなものも取り上げ、歴史の重みをかみしめることも必要であろうとなったのだという。

 一昨平成7年(1995)は戦後50年に当った。それでそれ関係の行事が全国各地で開かれたし、本もいろいろ出た。当館でも特別展、「戦争とサツマイモ」をやったので、その時使った資料がたくさんある。大古さんにそれを見てもらった。大古さんは食糧難時代のサツマイモのことを話してもらえそうな人を探していた。そこで比嘉好子さんと影山光洋さんのお子さんたちのことを話した。

 比嘉さんは沖縄本島の読谷村の人。同村農協の婦人部長だ。4〜5年前のこと、同部の若い人、数人を連れて当館へ来られた。その時、展示室にあった「沖縄100号」というサツマイモを見て、びつくりされ、一同にこんな話をされた。

 「皆さん、これが有名な『沖縄100号』です。といっても見たことはないでしょう。世の中が落ち着いてくるにつれて消えてしまった昔のいもですからね。

 沖縄戦の時のことです。アメリカ軍が読谷の海岸に上陸し、一気に攻めてきました。わなしたち女、子供はあわてて北部の山の中に逃げ込みました。敵は山の中までは来ませんでした。ただ山には食べるものがありません。それでだれもが夜になると、そっと近くの里に降りました。昼間だとアメリカ兵に見つかりやすいからです。

 その頃の沖縄の人の常食はサツマイモでした。いも畑はどこにでもありました。そのいもは早くできる早生種で、たくさんの量の取れるものが好まれました。その代表が沖縄県農事試験場で作った「沖縄100号」てした。

 わたしたちがだれのものか分からないいも畑で、夜中に手探りで掘ったいもの多くはこれでした。100号はわたしたちの命の恩人です。その恩人に川越で会えようとは夢にも思っていませんでした」。

 影山光洋さん(1907〜1981)のことは、戦後50年の年に出た写真集、「芋っ子ヨッチャンの一生」(新潮社)で知った。光洋さんは朝日新聞社のカメラマンだった。終戦の日に退社、神奈川県藤沢市に転居した。そこにはささやかな菜園があつたので、サツマイモはもちろんのことムギまで作った。

 昭和21年2月に三男、ヨッチャン(嘉彦)が生まれた。戦後の食糧事情が最悪になりだした時で、命の綱の食糧配給も遅配、欠配が当り前になりだした。生まれた時は元気だったヨッチャンもたちまちやせ細り、目だけギョロギョロの栄養失調になってしまった。 それでも何とか育ったが体にねばりがなくなっていた。難病に取り付かれ、5歳2か月で亡くなってしまった。

 光洋さんは愛児の死を悲しみ、撮りためた写真に解説を付け、写真集を作った。出版を奨める人があったが、光洋さん夫婦の在世中には出なかった。それをヨッチャンの兄でやはり写真家になった影山智洋さんが、戦争を知らない世代の人たちに読んでもらいたいと、そのまま出版した。

 同書の表紙は巨大なサツマイモを抱えたヨッチャンの笑顔で飾られている。その写真は本文の中にもあり、父親の解説がこうある。「畑でとれた1貫200匁の大サツマを肩にやっこらさ。ヨッチャンは息を引き取る2日前までサツマだけは「ヨッチャンはサツマッ子だから」とよろこんで食べた。サツマで育った子だけあった」。

 「食卓の王様」のリポーターは、比嘉さんの所へも、影山さんの所へも行ってくれた。こうしたいきさつがあったので、今夜のテレビはむろん見た。

 ディレクターもリポーターも戦後生まれの戦争を知らない世代だが、作品は人々の心を打つ、迫力のあるものだった。大古さんは作品の最後の所で、わたしをちょっとだけ出してくれた。それで番組が終ると、たくさんの知人から電話をもらった。良かった。いろんなことを考えさせられたと。なかでも嬉しかったのは読売新聞記者、大津彬裕さんからのこういうものだった。

 「あの番組はよく見ます。でも今夜はトーンがまったく違う。あんなに深刻なのをやったのは初めてでしょう。終戦の日という特別の日が、ああいうものを作らせたんですね。

 いつもならこの番組の後半はおいしいお料理になり、楽しく、にぎやかに終ります。ところが今夜は料理のことなんて一切なかった。いやあー、驚きました。久しぶりにしっかりしたものを見せてもらいました」。

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