その21


香取の新しい風(平成9年11月9日)

 わが国のサツマイモ生産量で最大の県は、昔も今も鹿児島県だ。ただここのいもの多くは、でん粉用、焼酎用、加工用(大学いも、焼き芋用など)で、市場販売用(青果用)は意外なほど少ない。農林水産省畑作振興課の資料によると、平成6年産のそれは3万5千トンに過ぎない。同年のその最大産地は千葉県で15万1千トン。2位の茨域県でも14万トンもある。

 千葉県が市場販売用いもで伸びだしたのは昭和40年代からだった。主産地は「北総台地」であり、行政的には香取地域(佐原市、大栄町、多古町、栗源町、山田町など1市9町)と隣接の印旛地域の成田市、ハ街市などだ。ここを分かりやすくいうと、成田空港の周辺一帯となる。事実、わが国の表玄関、成田空港は広大ないも畑のどまん中にある。

 ここが市場販売用のいもに力を入れるようになったのは、土地が「紅赤」に適していたのと、それが東京市場で高価格で売買されていたからだつた。

 紅赤は100年ほど前の明治31年(1898)に、埼玉県浦和市の農婦、山田いちさんによって発見され、世に出た。「ハツ房」の突然変異したもので、それより色、形、味の三拍子が揃ってはるかに良かった。とにかくそれ以上のものはなかったので「サツマイモの女王」とはやされ、長年「いも界」に君臨してきた。

 「川越いも」は江戸時代以来、首都で高く評価され、ブランドもので通ってきた。品種は「赤蔓」、「青蔓」の二種だったが、それさえも紅赤には及ばなかった。そのため川越いもも急速にそれと代わり、大正期以降は紅赤一色となった。

 ただ川越は東京に近過ぎた。昭和三十年代からの経済の高度成長期に入ると、都市化の波にさらされ、いも畑は激減、今ではそれを探すのが難がしいほど少なくなっている。

 その川越いもに代わり、紅赤の新産地として伸びてきたのが北総台地の村々だった。ここはもともとは麦と落花生の産地だった。サツマイモもあったが、それは質より量の「でん粉いも」だった。昭和30年代後半からそれらが振わなくなったため、代わりの夏作作物を探さなければならなくなった。こうした情況下で注目され、選ばれたのが紅赤だった。

 紅赤は作りにくく、適地が限られている。調べてみると北総台地は紅赤の発祥地である大宮台地や、川越いもの産地である武蔵野台地と同じように合っていた。それが分かった農家の人たちは埼玉の紅赤作りの名人たちを訪ねたり、招いたりして、作り方のノウハウと種いもを手に入れ、やがて本家をしのぐ「紅赤王国」を作りあげた。

 『千葉県野菜園芸発達史』(同編さん会、昭和60年)によると、千葉県の紅赤の作付け面積は昭和40年代後半から急増した。それにつれ同県甘藷の東京中央卸売市場における占有率は急増した。昭和30年代の10〜15%が43年には25%、45年には40%、47年には過半の53%になった。そして54年以降は常に60%以上を維持している。

 ただ北総台地の紅赤の盛時は短かく、昭和50年代までだった。昭和59年に農林水産省が「ベニアズマ」を世に出した。紅赤は気難かしく、作りにくい。収量も低い。ベニアズマはその反対で作りやすく、収量が多かった。ということは価格を下げられるということにつながる。味もポクポクで、紅赤よりずつとあまい。

 ベニアズマは生産者にも消費者にも受け、北総台地はむろんのこと、関東のいもはあっという間にそれ一色になつてしまった。こうした変化はあったものの、北総台地のサツマイモの名声は上る一方だった。そうなれば自信と誇りが出てくるし、わが国のサツマイモ文化の担い手としの自覚も出てくる。

 香取地域でまず動いたのは栗源町だった。ここは味は最高だが、作りにくいことでも有名な「ベニコマチ」の本場として知られている。川越で市民有志による「いも祭り」が始まったのは十数年も前のことだった。栗源の関係者はその頃から川越にきて、いろいろ研究していた。そして十年ほど前から、川越とは比較にならないほど大規模ないも祭りを、全町一丸となって行なうようになった。

 そのイベントの中心は最初から今日まで、一貫して「焼き芋」だ。町民運動公園の隣りに、日本一広いという「焼き芋広場」を作るそこで大量のもみがらを焼き、熱々の灰の中にベニコマチを入れて蒸し焼きにする。2〜3トンものいもを焼き、だれにでも気前よくただで振舞うので年々ファンが増え、今ではこの地方の有名な祭のーつとなっている。

 千葉県最大のサツマイモ産地は栗源の隣りの大栄町だ。ここが黙つているはずがないと思つていたら、やっぱり動いた。

 一昨平成7年春、「さつまいもアイデア料理コンテスト」をやった。主催は同町21世紀むらづくり塾。応募資格者は千葉県民。審査委員長は川越のサツマイモ料理専門の料亭、「いも膳」の神山正久社長。わたしまで審査委員の一人として招かれた。

 応募作品は161点もあった。質的にも優れたものが多く、県民がサツマイモに対し深い関心を持つていることがよく分かった。それから2年後の今年、思いもよらなかったことが起った。香取地域の1市9町が一つになり、11月8日から9日にかけて大イベントをやったのだ。

 昨日はその初日。大栄町コミュニティプラザホールで「さつまいもサミット」が開かれた。だれもが驚いたのは、まず1市9町の首長が1人ずつ、サツマイモによる地域おこし策を熱っぽく語ったことだった。

 それに続いてサミットとなり、わたしも4人の講師の一人として思っていることをしゃべらせてもらった。川越と北総台地の縁は深い。ここの人たちに川越に代ってがんばってもらいたいことは山ほどある。

 今日、9日は会場を栗源町の町民運動公園に移しての「イベント」だった。例の焼き芋広場もむろんやっている。公園には1市9町のテントが張られ、どこも特産品の宣伝と販売に力を入れていた。

 ここのいも祭りには何回も来ているが、今日は熱気が違う。なにしろ足の踏み場もないほど人がいる。その大群集の中でメインイベントであり、日本初の試みでもある「スイートポテトウェディング」が華やかに挙行された。

 いも祭りの会場で結婚式を挙げたい人を公募したところ、全国から20数組もの応募があったという。その中から選ばれた3組が今日の主役だ。媒酌人は栗源町長。何千人ものおいもファンの暖かい拍手の中で結ばれた。

 こうした香取地域行事が今後どう展開していくのかはよく分からない。ただサツマイモを核として結束し、新しい風を起した意義は大きい。よりよい方向にどんどん進んで行くに違いない。

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