その29


いも文化論の展開を(平成12年3月8日)

 鹿児島県農産物加工推進懇談会さつまいも部会の一行8人が来られた。顔見知りの人がほとんどだったので、話が最初からはずんだ。なかでも夢のあるいも菓子の開発に長年取り組んでこられた九面屋の鳥丸正勝社長の見解は面自かった。要点を紹介させてもらうとこうなる。

 「わが国の食べ物の中心は長い間コメだった。それさえあればあとはどうにでもなった。コメは王道で、これに対抗できるものはなかった。ところが最近コメがおかしくなり、落ち目になってきた。それに付け入り、今まで脇役に甘んじていたもろもろの食べ物がいっせいに台頭し、激しく自己を主張するようになった。サツマイモもその一つで、時代は大きく変りだした。

 ここでサツマイモ関係者が気を付けなければならないのは、モノ作りだけ、金儲けだけで動いてはいけないということだ。そういう発想ではやがて行き詰まり、伸びられるチャンスを自分で潰してしまうことになろう。

 ではどうするのがいいのか。サツマイモ関係者だけの結束では弱い。ジャガイモ関係者とも手を組み、全国規模でいも類を『文化』という切り口から取り上げていきたい。それにより初めて新たな発展が期待できるのではなかろうか」

 わたしは「さすがだ、まさにその通りだ」と思った。幸いわが国にはそういう趣旨の会ができている。サツマイモとジヤガイモの関係者が一つになり、3年前の平成9年に立ち上げた「日本いも類研究会」がそれだ。

 まだスタートしたばかりでよく知られていないか、それでも会員はすでに 300人にもなっている。鳥丸社長にも入って頂き、いも文化論の具体論を大いに展開してもらいたいと思った。

  

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世代による感覚の違い(平成12年3月9日)

 奈良市から60近い母親と20代の娘の一人連れが来てくれた。展示室にある昔のサツマイモを見ているうちに、母親は戦争の頃のことを思い出してしまったらしい。娘にこんな話をした。

 「お母さんが子供の頃は戦争でお米がなかったの。お米の代わりはおいもさんで、1週間もそれだけのことがあった。それもズルズルのおいしくないいもばかりだった。今お店にあるおいもさんは、どれもおいしいけど、お母さんたちにとってはやっぱり『代用食』という感じね」

 娘はつまらなそうにこう言った。「またその話?よしてよ。うちらのイメージは『ポテト』で『おやつ』感覚なんだから。それもお値段の張る、ちょっとぜいたくなおやつ。スイートポテトでもいもソフトクリームでも、いいお店のものは高いけど、とってもおいしいわ」

 戦争を知っている世代とそうでない世代とでは、サツマイモのイメージがこうも違う。若い人たちにとっては、たくさんあるおやつの一つに過ぎない。ところが中高年にとっては暗く、貧しく、惨めだった時代の象徴で、忘れられないものになっている。

 その母親はわたしにこう話してくれた。「うちは奈良市内の非農家でした。父は工員で子供6人。配給食糧だけではとても足りません。郊外には水田も畑もありましたので、母はよくそこの農家においもさんを買いに行きました。本当はお米が欲しかったのですが、それは売ってくれなかったそうです。
 おいもさんでも買うのは大変でした。行った先の農家の野良仕事を朝から夕方まで、ただで手伝わされます。その後でリュックサックいっぱいのおいもさんを、やっと売ってもらうことができたそうです。
 今日は東京に出たついでに、ここに寄りました。大変だった頃のことを思い出させてくれるものがいろいろあってよかったです」

  

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新島のアメリカいも(平成12年3月17日)

 今年の1月末のこと、伊豆七島の1つ、新島から観光協会の菊地三郎会長と同会民宿部会の役員三名が来られ、こんな話をされた。「新島は緑の島ではない。砂と石ころだらけで昔から麦といも(サツマイモ)しかできない所だった。今はそれもろくに作らなくなったので畑は荒れ放題。草ぼうぼう。

 ここは観光に力を入れているので、このままではまずい。なんとかしなくてはとなってきた。それで浮かび上ってきたのが、いもの見直しだった。新島のいもは「アメリカ」という品種。皮は白で、中は黄色。収量は少ないが、あまくてうまい。

 最近は健康食ブームで、いももその一つとして人気が出てきた。島にもともといいいもがあるのだから、それを活かしてみようとなった。実は前に「いも掘りツアー」をやったこともあった。その復活も考えられる。民宿の郷土料理の一つに、いも料理も加えたい。それで島のいもの良さが分かってもらえれば、生いももおみやげ品になるかも知れない。

 話が盛り上り、先進地見学となった。それで川越に来たというわけです。わたしたちは先発隊です。来週は本隊の村会議員の一行がまたここに来ます。

 新島のいもは「アメリカ」と聞いてびっくりした。それは広島市の久保田勇次郎という人がちょうど百年前の明治33年(1900)にアメリカから持ち帰って広めた古い品種であることと、関東では昔からほとんど作られなかった珍らしいものだったからだ。

 このいもは作りやすく、貯歳もしやすい。味もいいということで中国、四国、九州などの西日本に広く普及した。久保田さんは「七福」と名付けたが、導入先にちなんで「アメリカ」、「アメリカイモ」、「メリケン白」などと呼ぶ所も多かった。

 もっとも太平洋戦争中は「アメリカイモ」とはけしからんとなり、「七福」に改めさせられた所が多かったと聞いている。最近『さつまいも』(法政大学出版局、1999)を出された坂井健吉先生によると、このいもはやせ地や早ばつ地に特に強い。味もいい。掘りたてはホクホク。貯蔵していると、ねっとりとしてきてあま味が増す。

 ただ収量が少ないので、都府県の奨励品種になりにくかった。それでその後、次々に現われた新品種に押され、今では西日本でもほとんど作られていないという。

 今日、新島の本隊の一人として川越に来られた菊地佐一村議さんが、その「アメリカ」を送ってきてくれた。さっそく展示室に並べさせてもらった。そのいくつかを蒸して食べてもみた。ねっとりとしていてあまく、本当にうまいいもだった。

 幻のいもになりかかっている「アメリカ」が新島にしっかり残っていることと、島の人たちがそれを見直し、島おこしに使おうとしていることが分かって嬉しかった。このいもを大事にすることで、新島に優れたいも文化が興ることを願っている。

 

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