その33


サツマダンゴ(平成13年1月14日)

 東京都西多摩郡日の出町から80過ぎの男の人が来た。売店のサツマイモの粉を見て、こんな話をしてくれた。

「ほほう、いも粉か。これは色は白っぽいが水でこねると茶色になる。それを手で握ってダンゴにしてふかすと、まっ黒になる。それをサツマダンゴと言っていた。

 あまくてうまい。昔の農家の者にとってはごちそうだった。もっともなんにも知らない都会の者には、気味の悪いものにしか見えなかったようだ。食い物でまっ黒なものなんてこのダンゴの他にはないもんな。

 実は戦争中の食粗難時代にこんなことがあったんだ。あの頃は五日市の隣りのうちの方にまで、東京者が食料の買い出しに入り込んできた。

 ある日、家中の者がダイドコロでサツマダンゴを食っていた。そこへ東京から買い出しに来たという子連れの女親が入ってきて、なにか食えるものを売ってくれと言った。

 相手がペコペコなのはすぐ分かる。かわいそうになってサツマダンゴの1つずつでもくれてから、野菜でも分けてやろうと思った。まず子供からと思ってダンゴを渡そうとした時のことだった。親が血相を変えて『もらっちやだめ』と叫ぶなり、出した子供の手をぴしやっとたたいた。

 おれには親がなぜそうしたのかが分かった。それでそのダンゴを口に入れ、むしゃむしゃ食ってみせた。安心しな。色はまっ黒でも、ほれこの通り食えるんだよとな。

 でもだめだった。その親は子供の手を引っぱり、ものも言わずに逃げて行った。毒でも入っていそうに見えたんだろうな」。

   

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ハノイの焼き芋(平成13年1月29日)

 NHK放送研修センターの内堀孝雄ディレクターが、研修生4人を連れてこられた。いずれも外国人で男女二人ずつ。男性はベトナムとパプアニューギニアの人。女性はタイとインド洋上の島国、モルジブの人だった。

 資料室での取材実習が済んで雑談になった時のこと、わたしが日本では焼き芋は女性の好物の1つだと言った。するとハノイから来ているという人がすぐこう言った。

「それはうちの方も同じです。ハノイには車を引いて焼き芋を売り歩く人がいます。それを見付けて家から外に飛び出していくのは女性です。男でそういうことをする人はいません。
 わが家でも焼き芋屋が来ると、道に飛び出すのは女房です。女房は焼き芋が大好きで、週に2〜3回は買っています」

女性の焼き芋好きは日本だけではないようだ。

  

 

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川越にサツマイモ料理の店ができたわけ(平成13年3月23日)

 東京都世田谷区池尻に東京栄養食糧専門学校がある。いも菓子、いも料理の普及事業にも熱心な学校として知られている。今日ここでサツマイモ料埋を普及させるための懇話会が開かれた。

 参加者十数人。川越からはいも料理で有名な「えぷろん亭」主人、原京子さんとわたしが招かれた。原さんとのお付き合いは長いが、店を開かれたわけを伺ったのは今日が初めてだった。開店は昭和63年。そうなったわけを一同にこう話された。

「サツマイモは今と違い、一昔前まではすごく馬鹿にされていたんです。『いもなんか』とか『いもねえちゃん』とか。川越ではそれはおいしいサツマイモが取れたんです。でも世間の評価が低かったので、それで料理を作ろうとする料理屋は出ませんでした。わたしはそれはおかしいのではないかと思いました。

川越ほどのいもの町に、いいいも料理がないのなら、それを作って世間をあっと言わせてみたくなりました。だっでくやしいではありませんか。地元の名産が不当に低く見られていたんですから。その地位を引き上げたくて、いも科理屋を始めてしまったようなものです。

 それにしてもみなさんに喜んで頂くのは難かしいことです。たとえば男のお客さんに、いものくき(葉柄)の料理を出すと、いやな顔をされてしまいます。そうされないためには工夫が必要です。うちではそれで炊き込みご飯を作ったり、キムチにしたりしています。これだと男の人でも喜んで食べてくれます。

 今熱を入れているのは大学いもです。お年寄から子供まで、年齢に関係なく喜んでもらえそうなものとなると、これになってしまいます。紫いもでやってみようとか、レモン風味はどうだろうとか、考えるだけでも楽しくなってきます。『さすがは川越だ。おいしい大学いもがある』と言われるようになりたいです」。

  わが国で最初の本格的なサツマイモ料理の店となれば同じ川越の「いも膳」になる。開店は昭和57年。「えぷろん亭」より7年早かった。「いも膳」の主人、神山正久さんは当館のオーナーでもある。原さんの話を聞いていて、開店の動機がうちの神山さんとまったく同じだったことに驚いた。神山さんもお客さんにそれをきかれるたびに、こう答えているからだ。

「うちが店を開いた頃のサツマイモの評価は低く、野菜の中で一番ダサイものとされていました。 日本人はサツマイモのおかげで戦争による食糧危機を乗り越えられたはずなのに、景気がよくなるとそんなことはたちまち忘れてしまい、ダサイ、ダサイと馬鹿にするようになりました。おかげでいもで有名だった川越の者は『いもにいちゃん、いもねえちゃん』と馬鹿にされ、くやしい思いをしてきたものです。

 そういう目に合わないですむようにするにはどうしたらいいのか?野菜の底辺にあるサツマイモをそのてっぺんに引き工げ、カッコイイものにするしかありません。たくさんある野菜の中の王様にするしかありません。

 そんなことはできるはずがないと笑われましたが、こっちには自信がありました。よしやってやるぞ。待っててくれよという気持で店を作り、突っ走ってきました。そうしているうちにこっちにとってはいい風が吹き始め、今ではねらい通りになってきているという感じです」。

 その土地の特産品で体によくておいしいものを作る料理屋は全国のいたる所にある。ただ川越のようにそれがサツマイモとなると、ことはかんたんにはいかなくなる。

 原さんも神山さんも川越生まれ、川越育ちの生粋の川越っ子だ。川越のいも料理屋は世間からなんと言われようとも、サツマイモが好きで好きでしょうがない川越っ子の意地から生まれたようだ。

 

 

 

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