その37


千葉県高萩小学校のサツマイモ学習(平成13年11月18日)

 平成14年度から小中学校の「総合的な学習」がスタートする。今年度はその準備期間ということで、すでにそれを始めている学校が多い。その中でサツマイモと取り組んでいる所も多い。

 わが国の都道府県別の青果用サツマイモの生産量で、もっとも多いのは干葉県だ。その主産地は北総台地。分かりやすく言えば、成田空港周辺の市町村ということになる。その一つに栗源(くりもと)町がある。

 そういう場所にあるからであろう、同町の高萩小学校でも総合学習でサッマイモの学習を始めた。同校は1学年1クラスの小さい学校なので、5年と6年が合同でそれに取り組んでいる。担任は5年生が堀越信子先生、6年生は高橋 進先生。

 栗源町では十数年前から毎秋「ふるさといもまつり」を盛大にやっている。今年は今日がその日。サツマイモ学習の準備で当館に来られたことがある高橋先生から「いもまつりの会場で子供たちがサツマイモ学習の成果を発表します。ぜひ見てやってください」という連絡をもらっていたので、喜んでやってきた。

 おまつり広場はとても広い。そこに売店が数え切れないほどたくさん出ていた。その中に高萩小のテントも二つ、並んであった。一つは「サッマイモ博物館」。もう1つは「サツマイモレストラン」 だった。 まず博物館に入った。ここは模造紙を使ってのグループ別発表で、歴史、品種、育て方、栄養そしてベニコマチの五グループに分かれていた。

 子供たちが一生懸命調べたり、考えたりしたことなどが紙にびっしり書いてあった。客がその前に来ると、「学芸員」と書いてあるリボンを胸に付けた子があれこれと説明してくれる。どの子も自信を持ってやっていた。

 この発表で栗源ならではのものといえば「ベニコマチ」になる。サツマイモは作りやすいものとされているが、ベニコマチは例外だった。このいもは昭和50年に世に出た。味がいいことですぐ評判になったが病気に弱く、作りにくかった。そのためその産地化が進まなかった。

 そういう中で栗源町だけはねばってきた。ここでは早くからその特産地化をねらい、ベニコマチによる町おこしを図っできた。ただそれが思い通りにならないうちに、「ベニアズマ」という新品種が現われた。昭和59年に世に出たこのいもは、丈夫で作りやすかった。そのうえ味もよかったので、関東のサツマイモはあっという間にそれ一色になってしまった。

 こうなると果源でもこの流れに逆い切れなくなる。「ベニコマチの里」をめざしたここも、主力はベニアズマになった。
 とはいえ粟源には今なおベニコマチにこだわり、それを上手に作りこなそうとがんばっている人たちもいる。子供たちは大人たちのそうした夢や意地を知って感動したらしい。その気持が模造紙の記事によく出ていた。

 博物館を出ると、隣りのサツマイモレストランで休めるようになっていた。メニューは焼き芋だけだが、変った食べ方をさせてくれる。値段は無料ということもあって大入り満員だった。
 いもはテントの裏で特製の焼き芋器で焼いていた。火を使う仕事なので子供たちだけに任せるわけにはいかない。先生方が子供たちと一緒に汗だくなって焼いていた。

 客に振る舞う焼き芋は4種類で輸切りにしたもの。その厚さは2〜3センチ。客がテーブルに着くとエプロン姿の子供たちがA4判ほどの紙の四隅に載せて持ってきてくれる。その下にはそれぞれの品種名と特色が印刷されている。それを見ながら食べ比べてくださいということだ。

 わたしはやるなあ、すごいぞと感心しながらごちそうになった。

 まずは右上隅から。大きな文字で「万能のいも、コガネセンガン」とあった。続いて解説が小さな文字で、皮の色は淡黄。でんぷんにも焼酎にもいい、食べてもうまいとあった。右下隅は「人気のいも、ベニアズマ」として、果源でも今はこれが一番多い。たくさん取れる。作りやすくて味もよいとあった。

 栗源自慢のベニコマチは左上隅で、まず「まごころのいも」とあった。その解説には「あまくておいしく、特に焼き芋が絶品です。全園でもベニコマチを作っているのは干葉、特にこの栗源町なので、このイモは『栗源の味』なのです」とあった。
 「まごころのいも」といい、「栗源の味」といい、これ以上のほめ言葉があろうか。ベニコマチにとって今日は最良の日だったようだ。

 最後は左下隅で「命のいも、茨城1号」。「戦争中燃料をとるために作られた品種です。戦後は食料として日本人を餓えから救いました。このいもの味は食べてからのお楽しみです」とあった。
 「食べてからのお楽しみ」とあれば、戦争を知らない人たちにとってはどれどれとなろう。

 茨城1号は昭和12年に世に出た。燃料用アルコールを作るための原料いもで、多収だったが味はひどいものだった。それが太平洋戦争末期から食用に転用された。食料事情が急激に悪化したためだ。そのひどくまずいいもがグルメ時代の今日、このような形で現われたわけを高橋先生に伺ってみると、こういうことだった。

 「わたしたちのように戦争を知らない世代の者が、それを知っている人たちとサツマイモの話をすると、かならずまずくて困ったいもの話が出ます。そこでそれと今のうまいいもを食べ比べてもうらうことにより、今の幸せを感じ取ってもらいたいと思ったのです。
 茨城1号の味ですか、食感はサツマイモですが、味は『あれっ』という感じです。
 わたしたちにとって、サッマイモは物心がついた時からうまいものでした。それでこの世にまずいものがあるなんて思いもよらないことでしたからね」

 総合学習の成果を校内で発表している学校はいくらでもある。だが高萩小学校のように校外で、しかもこのように意欲的にやった所はそうはあるまい。子供たちも先生方も得がたいものを得たに違いない。

 

  

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