その40


『太白ものがたり』その後(平成14年11月1日)

  明治の末期から昭和の30年代にかけて全国で広く作られたサツマイモの一つに「太白(たいはく)」があった。埼玉県でも農家の作るいもの中には、たいてい太白があった。それは蒸して食べるいもだった。

 皮は紅色。肉の色は文字通り、まっ白だった。蒸すとホクホクではなく、ねっとりとなった。太白はその後、いつとはなく消えてしまい、サツマイモといえば肉が黄色でホクホクのものだけになった。

 太白を知っている人たちはそれが気に入らなかった。あんなにいいいもだった太白をなんで消しちまったんだ。ホクホク過ぎて、のどが詰まりそうないもしかなんでないんだとなった。ただその不満をぶっつける相手が見えないので、どうしようもなかった。

 そこへ川越いも友の会が『懐かしのサツマイモ 太白ものがたり』を出したのだから、反響が大きかった。発行は先月の13日。すぐ新聞数紙の埼玉版にそのことが大きく載った。幻のいも、太白の記録を後世に残すための冊子、世に出る。川越近郊で太白を作っている農家は今では四軒だけと。

 同書の実費配布の申し込み先は当館だったので、新聞を見た人からの電話がどっときた。だがその内容の多くは意外なものだった。本が欲しいのではない。太白そのものが欲しい。だからそれを作っている農家を教えてというものだった。

 これには参った。だが見方を変えれば、太白ファンが今なお埼玉県だけでも、こんなにもたくさんいるという証拠になるではないか。最初のうちこそ当てが外れて戸惑ったが、やがてそれはそれで当然のことと思い直せるようになった。それからというものは毎日次々に電話を掛けてくる人たちの太白への熱き思い入れに耳を傾け、メモを取らせてもらうように心掛けた。

 今日はその中から印象の特に強かったものを整理した。まずは10月22日の女の人からのもの。

 「今朝の『毎日』に太白のことがありましたよ。わたしは今は狭山市に住んでいるけど、生まれは福島県の南陽市。赤湯で有名な所です。そこにふかしいもを売るおいも屋さんがあって、そのいもが太白だった。

 子供の頃のことです。時期になると親から小銭をもらって、毎日のようにそれを買いに行ったものです。だからわたしは太白で育ったようなものです。その太白があるんですって?欲しいわ」

 次は太白を探し回った女の人からのもの。

「今日の埼玉新聞に太白のことが大きく出てたわ。嬉しくって思わず電話しちゃったの。わたしは74のおばあさん。桶川市に昭和30年から住んでいるけど、生まれは比企の都幾川村。農家の子だったから、秋から春にかけて毎日ふかしいもを食べた。それが太白だった。朝ごはんの前にまず一本。学校から帰ってすぐ一本。それから寝る前までに2〜3本。そう、毎日四〜五本も食べていた。

 だから桶川にくるとすぐ太白を探したわ。でもあったのはホクホクの黄色のいもばかり。太白はどこをどう探してもなかった。実家の太白?あそこは山の中。イノシシが出るようになって作れなくなった。それでも白いいもを食べたい一心で茨城の農家から干しいも用のいもを取り寄せたことがあった。タマユタカ?そうそう、そんな名前だった。色は白。蒸すとねっとりとなった。だけど味は太白とはぜんぜん違うものだった。

 それからは大白探しをあきらめてたの。そうしたら川越のほうにあるっていうじやない。こんなこと言っちゃ悪いけど、太白の本なんか要らないの。お願いだから太白を作っているという農家を教えて」

 太白についての感じ方は人によって違う。10月23日にもらった電話の中に、感性の豊かな男の人からのものが二通あった。一つは色について、もう一つは味についてだった。

 「新聞に太白のことがあった。あれを作ってる人の住所を教えてよ。おれの住んでる所?東松山の大岡。太白はガキの頃、さんざん食った。あれは蒸して食ういも。シンがとくに白いいもだった。 おれももうトシだ。死ぬ前にもう一度食ってみてえと思ってたんだ」

 「新聞で太白を見た。懐かしくてしょうがねえ。おれは鴻巣の者で昭和12年生まれ。子供の頃、お袋がよくふかしてくれたのが太白だった。まっ白いいもでね、ねっとりとしたいもだった。あまかったが、さっぱりしたあま味だった。だからいくらでも食えた。その太白の本が出たんだって? 俺にも一冊くれよ」

 川越地方に太白を作っている人がいるといっても四人だけだし、どの家も少ししか作っていない。今までは作っていることが知られていなかったので、それで十分だったからだ。

 そこに新聞で知った人たちがどっと押しかけても対応できるはずがない。たちまち売切れてしまった。農家からそう聞いたので、その後電話を掛けてきた人たちには実情を伝えた。すると「がっかりだな。来年は大丈夫?」という人が多かった。こっちも太白畑が増えることを願っているが、農家の都合次第なので請け合えない。

 10月26日に電話をくれた女の人は、あきらめながらこう言った。

 「大白は結局はないものねだりなのね。あれはわたしたちと一緒にほろびるいもなのね」

 だが中には違う人もいた。翌27日には大井町在住で20代後半という娘さんがこう言ってくれた。

 「わたしはおいもが大好き。でも今、手に入るのはベニアズマだけではないですか。本当はいろんなおいもを食べくらべて、白分に一番合ったものを見つけたいんです。そう思っていたら新聞に太白がありました。今すぐとは言いません。手に入るまで1年でも2年でも待ちます」

 太白は今では年寄りしか知らないいもになっている。それを食べてみたいという若い人が現われたことが一番嬉しかった。

 

 

 

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