その42


総合学習とサツマイモ(平成15年4月5日)

 昨平成14年度から小中学校での「総合的な学習」が始まった。地元にある身近なものの中から学習の題材を選ぶ。それについてのさまざまなことを、さまざまな角度から、まる一年かけて学ぶ。それを通して子供たちに自ら学ぶ力を付けさせようというものだ。

 川越は江戸時代のむかしからサツマイモで有名な所だった。それだけにここの小学校の多くはサツマイモを題材に選んでいる。

 学年では3〜4年が多い。1学期はテーマ選びとグループ作り。夏休以降は学習を深め2学期後半に中間発表。3学期はレポートのまとめとなるようだ。それで1〜2学期には当館にもたくさんの子供たちがくる。また学校によってはわたしを呼んでくれるところもある。

 その一つ、福原小学校の場合はこうだった。対象は4年生で時期は1学期の中頃。子供たちの学習はかなり進んでいた。与えられた時間は1時間ほどだったが、そのぜんぶが子供たちとの質疑応答だった。しかも質問には鋭いものが多かった。

 たとえばある男の子のそれはこうだった。「でっかすぎたり、ちっちやすぎたりのサツマイモは本当に捨てられちやうんですか?」

 そんな話を大人から聞いて心配になったのであろう。わたしは「いいところに気が付いたね。お店にあるいもは、どれもちょうどいい大きさのものばかりだものね。そうでないいもはどうなってしまうのかな。調べてみたら」と言った。

 わたしは同校の2学期の中間発表にも招かれた。その時わかってとても嬉しかったのは、その子が友達二人を誘って「おいもおたすけ隊」を作ったことだった。3人は農家、 八百屋、 いも巣子屋などを回って「形の悪いいものゆくえ」というレポートを作っていた。それにはいもの味は、いもの大きさでは変りません。どれも同じです。八百屋に出ないいもは、いも菓子屋さんがおいしいお菓子にしてくれていましたとあった。

 中間発表用としてたくさんの教室が使われていた。お客さんは同じ学年の子供たちとその親たち。教室の人り口にグループ名とテーマを書いた看板が出ている。前者では「サツマイモそうさくたい」「へルシー・スィート」「栄養まんてんファイターズ」「サツマイモ健康たい」等々とあった。

「戦時サツマイモ調査隊」では、大平洋戦争による食料難時代のサツマイモのことを調べていた。当時のことをよく知っているおじいちゃんやおばあちゃんから、いろんなことを聞いていた。隊員に感想を聞いてみると、お年寄りにはそういうことを喜んで話してくれる人と、そうでない人がいることがわかったという。それだけでもすごいことではないか。

 サツマイモは食べものなのだから、できるだけおいしく、楽しく食べたい。女子が多いグループでは、いも菓子、いも料埋の開発に力を入れていた。その場合の相談相手は子供たちのお母さんたちのようだった。その日も大勢来ていて、あれこれと手伝っていた。

 学習のテーマで多かったのは「サツマイモの栄養」だった。最近はサツマイモも体にいい食べのもの一つとして見直され、大事にされるようになった。それだけにとてもいいことなのだが、ちょっと気になることがあった。

 それは食物繊維、ビタミンC、カリウム、ナトリウム、カロチン、アントシアニン等々の専門語が盛んに使われていることだった。10歳前後の子供たちにその意味がどれだけわかっているのだろう。むずかしすぎるのではなかろうかという気がした。でも後日ある大学の先生に伺ってみるとこういうことだったので安心した。

 「それでいいのではないですか。今は意味がよくわからなくても、一生けんめい調べたことを頭のやわらかい今のうちに、そのどこかにインプットしておけば、あとでそれが出てきた時に使えるはずですから」

 総合学習は学力低下につながると早くも心配する声が上っている。でもそれはやり方次第なのではなかろうか。それがよければ、子供達は得がたいものを得るに違いない。

   

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味鋺いもによる地域おこし(平15年5月25日)

 太平洋戦争前の名古屋市北区の味鋺(あじま)地方は、サツマイモの名産地だった。戦後、いも畑が激滅し産地としての力を失ったが、さいきんになってその復活運動が起った。北区と住民が協同でいも畑を増やし始めた。そのいもを使っていも葉子を作る組合もできた。今目はその親合の幹部の人がきて、こんな話をしてくれた。

 味鋺いもを使う葉子屋の組合ができたのは3年前だった。メンバーは15軒で、ぜんぶ生棄子屋。

 北区から味椀いもを使ってもらえないかと言われた時、いろんな意見が出た。戦争時代を知っている人たちは乗り気でなかった。「いもなんか」という気持が強いから、「今さらなんでいも?」となってしまう。「いも菓子なんて、まともな生菓子屋のやる仕事かね」と思っているのだから大変だ。

 ところが若い人たちにはそんなことはまったくない。おもしろそうだ、やろう、やろうなった。それで組合が出来て、やってみて驚いた。作ったものがどれもよく売れる。これはいいぞとなった。

 わたしには名古屋でいも菓子といえば、名古屋駅構内などで売っている「鬼まんじゅう」がまず浮かぶ。それでそれも作っているものと思って聞いてみると、それはない、わけはこうだと言われてしまった。

 鬼まんじゅうはむかしは売るものではなかった。家庭でちょっとしたおやつに作るものだった。小麦粉をお湯でとく。さいのめに切ったサツマイモをそれに入れて混ぜる。それをお玉かなんかですくっては蒸し器の土に置いていく。そして蒸しただけのものだ。

 素朴なものでファンもある。でもプロのやる仕事とは思えない。われわれはいつもよりよいお菓子を作ろうとしてるんでね。味鋺地区にはこういう人たちがいる。味碗いもの復活運動は着実に伸ぴていくに違いないと思った。

 

   

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