その49


いものほしい(平成17年5月19日)

 今日は伊豆七島の一つ、新島から須貝紀代さんがこられた。須貝さんは新島で生まれ育ち、中学校の英語の先生をされていた。定年退職後のいまは島の郷土料理研究会の会長をされている。

 新島名物はクサヤとアシタバ。それになにかもう一つ加えたいと思って探していたら、サツマイモが浮かんだのだという。新島には水田がない。冬作の麦と夏作のサツマイモが命の綱だった。だからサツマイモ畑はいまでも方々にある。そのたべ方を伺っていて、おもしろいと思ったのは「いものほしい」だった。

 「ほしい」は「乾飯」と書く。米を炊いて乾燥させたもので、湯や水に浸せばすぐたべられる。旅人や戦陣の武士用などの保存食であり携行食であった。それは知っていたが、「いものほしい」とはどんなもので、どう使うのだろう。須貝さんによるとこうなる。

 新島のいもは「アメリカ」。皮の白いいもで「七福」ともいう。いも掘りは10月だが、ほしい用はすぐは使わない。1〜2ヶ月置いといて、あまみがでてから使う。ここの冬の風は強い。12月から3月にかけて冷たい西風がピューピュー吹くので、それを待って作る。

 いもの皮をむいて蒸し、つぶす。ドロドロ状になる。それをエンガーに入れて干す。エンガーは浅い木の箱で、底は竹で編んだもの。風の通りをよくするためだ。時々中のものを手でひっくり返す。2〜3日もすればカラカラに乾く。これがいものほしいでむかしからあった保存食。

 それで作るごちそうに「いももち」があった。米のない島で米を使うのはぜいたくな話だが、米の餅を蒸す。いものほしいも蒸す。両方を合わせてついて丸餅にする。

 いまの新島は観光地で観光客がたくさんくる。須貝さんはその人たちにこれをたべてもらいたい、みやげにもしてもらいたいと思っているのだという。それでヨモギ入りやアズキあん入りなども作っている。

 わたしもおみやげにと持参されたそれをごちそうになったが、その土地ならではの風味と暖かくやわらかい感触がよかった。これなら観光客にも喜ばれる名物になると思った。

 

 

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おいらんいものいわれ(平成17年5月29日)

 今日は東京から深川の芸者だったという80ぐらいのおねえさんがきた。 展示室の「おいらん(花魁)を見てこう言った。

 「あら、むかしたべたおいらんいもがあるじゃない。このいも大好きだったのよ。あまくて、ねっとりとしていて」

 その皮の色は赤。身はまっ白。このいもの特徴は中心が淡い紫色であることだ。でもわたしには、それがなんで「おいらん」と呼ばれるのかがわからない。そのことをおねえさんに言ってみておどろいた。こんな答えが即座に帰ってきたからだ。

 「おいらんはおしろいを顔にたっぷり塗ってまっ白にするじゃない。それから唇に紅をさす。おいらんいもにはそれと似たところがあるのさ。白のまん中に、紫色をちょっとさしたところがさ」

 真偽のほどはわからない。でも話としてはよくできている。思いがけない話を聞かせてもらえて嬉しかった。

 

 

 

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戦後60年(平成17年6月9日)

 利根川河口の右岸は銚子で、左岸は茨城県の波崎(はさき)町。ここは砂浜でいまでもサツマイモ畑が多い。イワシもたくさんとれたところなので、ここの人たちは「自分たちの体はいもとイワシでできている」とよく言ったものだという。今日はそこから70代の女の人がきて、子供の頃のこんな話をしてくれた。

 「あの頃は戦争でサツマイモをたくさん作ってた。うちは農家だったので『沖縄100号』とか、なんとか何号などといういもを作ってた。それを目当てに東京から買い出しの人が大勢きた。

 ある日のこと、子供の手を引いた女の人がきた。畑のわきに寄せてあるいものつるを見て、母にたべられるかと聞いた。母がたべてたべられないことはないと言うと、じゃあくれとなった。

 その人はいもでいっぱいになった大きなリュックの上に、いもづるを乗せられるだけ乗せて帰った。

 あれから60年になるのね。そんなことを知っている者は、もうこの世の少数派になってしまったようだわ」

 

 

 

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いも天がなければ盃を乾さない(平成17年6月21日)

 茨城県の太平洋岸の鹿島郡は、メロン、トマト、イチゴ、そしてサツマイモの大産地。手間のかかるものと、逆のサツマイモとを上手に組み合わせた専業農家の多いところとしても知られている。

 今日はそこの旭村で、茨城県かんしょ生産者連絡協議会の研修会があり、講師を頼まれた。テーマは「茨城県のかんしょ振興に向けて」で、会場は箕輪地区の「いこいの村涸沼」。

 開会時間より2時間も早く着いたので、会場周辺の畑を回りながら、そこにいた人たちと立ち話しをした。その1人、畠英寿さんはたまたまわたしと同じ昭和6年生まれだった。同年のよしみから「おれんちでお茶でも飲んでいけ」となり、自宅に連れていってくれた。そこで自慢のメロンとトマトをごちそうになりながら、いろんな話を聞かせてもらった。あとで家内にそのことを話すと、「まるでNHKの『鶴瓶の家族に乾杯』みたいね。知らない人の家に入れてもらったりして」と言われてしまった。

 畠さんは農産物の出荷組合を作ったほどの人だから、村の農産物の歴史にくわしい。いまではメロンで日本一の旭村も、戦前は麦とサツマイモ、そして養蚕の普通の村だった。戦後は地下水を汲み上げて、畑を水田にする陸田がはやったが、やがてメロンやトマトになった。変わらないのはサツマイモで、これだけはむかしからずっと続いている。それだけにそれが大好物なのだという。しかもその度合がはんぱではない。

 この辺の宴席には、よく野菜天ぷらの盛り合わせがでる。畠さんはその中にサツマイモの天ぷらがあるかないかをまず見る。ないとご機嫌斜めとなり、酒杯を取らない。「いも天はうまいよ。あれほどうまいものはない。それがないとは何事かということさ」と笑っていた。

 だから畠さんの出る酒席で、いも天のないことはないという。酒はいも天で飲む。いもの大産地ならではのことといえよう。

 

 

 

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