その52
今日は東京都練馬区立大泉中学校の職員研修会に講師として招かれた。内容はサツマイモの歴史、そのたべ方、そしてプランターでの栽培法だった。
それが終って雑談になった時、ここの校長先生がこんな体験談をしてくださった。
「私は伊豆の三宅島の中学校に勤めたことがあります。昭和50年頃のことです。生徒と先生が一緒にサツマイモを作ることになりました。焼き畑に向いている山の木を伐り、火をかけます。そのあとにサツマイモの苗を植えました。
苗は順調に育ち、やがて焼き畑はいもの葉で埋まりました。秋がきて豊作間違いなしとなり、みんなでいも掘りをしました。ところがどうしたというのでしょう。いもがないのです。たまにあってもそれは細かいくずいもばかりです。
おかしいな、こんなはずはないぞとつるを刈り取ったあとの畑をよく見ると、モグラが通ったあとのように上が盛り上り、でこぼこの道のようになっているものが何本となくありました。これが怪しいとなり、それを足で踏みしめながらたどっていくとどれも畑の片隅に行き当りました。そこを掘ってみると大穴になっていて、中は大いもで埋まっていました。それはネズミの仕業です。冬の食料として、いいいもをそこに貯め込んでいたのです。
先生たちはそのいもを生徒たちにたべさせてよいものかどうかで迷いました。ネズミたちは畑に縦横にトンネルを掘り、それを使って上の中のいもを喰いちぎっては大穴に運んでいたようです。そのためどのいもにもネズミの鋭い歯による傷がついていたからです。結果ですか?残念ながらたべないことになってしまいました。」
ネズミは馬鹿にできない。恐ろしいものだと改めて思った。というのは宇和海に浮かぶ愛媛県の二つの島がひどい目にあっているからだ。昭和24年のことだった。戸島に突然大量のネズミが発生した。その一部は海を泳いで西隣りの日振島に上陸、ここでもネズミ算式に増え続け猛威を振るった。島の人たちはイワシの宝庫といわれた宇和梅でそれを取り、いりこにして売った。同時に自家用の食料としての麦とサツマイモを段々畑で作っていた。ネズミは浜で干しているいりこも、段々畑の作物も喰い荒らし十年問も暴れ回った。
その惨状は吉村昭氏の作品『海の鼠』新潮社、昭和48年)に詳しくある。またなぜそういうことが起るのかということについての考察は、この地方の段々畑の保存運動に力を入れられている宮本春樹氏の近著『段畑からのことづて』(創風社出版、2006年)にある。
三重大学名誉教授でサツマイモの研究者として知られる川瀬先生が突然こられた。いろんな話がでた中で、わたしにとっても一番よかったのは次のようなものだった。
「太平洋戦争末期の昭和19年秋のことだった。当時旧制高校の生徒だったわたしたちは勤労動員で農家のサツマイモ掘りの手伝いに行った。場所は島根県の大田と石見銀山との間の村。人手不足で特に困っている農家に3〜4人ずつ分宿して働いた。
畑でいもを堀り、それを古俵の中にポンポン投げ込んでいたら、その家の主人に叱られた。『このいもは戦争で足りなくなったお米の代わりに都会の人たちに配給するものだ。それを乱暴に扱って表面に傷をつけてしまったらどうなる? サツマイモはもともと腐りやすいものだ。そこから腐ってたべられなくなってしまうことだってある。そんなことになってもいいのかね』と。
わたしたちははっとした。悪いことをしてしまったと反省し、それからはいもをできるだけ大事に扱うように心掛けた。
わたしはその後京大に入り農学を学んだ。卒業後も大学に残り、イネの研究をしていた。それが途中からサツマイモの研究をすることになり三重大に移った。そこでの研究テーマはでん粉含有量も収穫量も特別多いいもの開発だった。もっともそれは国のプロジェクトで、わたしは大学に在ってその一端を担ったということになる。
農林水産省の農業試験場で交配したさまざまな種類のサツマイモが全国各地の試験研究機関に配られた。わたしのところにもびっくりするほどたくさんの種類のいもがきた。それを一つずつ栽培して有望なものを選抜するわけだが、その作業が少しも苦にならなかった。例の島根の人の言葉がずっと頭にあり、どんなものでも1つずつ、ていねいに扱うことが身についていたからだ」
偉い先生は心掛けが違うと思った。それとあの戦争中にも消費者のことを考えて自分が作った作物をそこに届けようとしていた人がいたことがわかって嬉しかった。
札幌で生まれ育ったが、いまは川越に住んでいるという女の人がきてこんな話をしてくれた。
「昭和30年代の後半に縁があって川越にお嫁にきました。友達に川越に行くことになったと言ったら、『え〜っ、いもねえちやんになっちゃうの?』と言われてしまいました。川越いもの名は向うでもそれほど有名でした
でも北海道でサツマイモといえば干しいもの感じでした。近所の八百屋さんの店先きに干しいもが入ったかますが置いてありました。店の人にいくらいくら欲しいと言ってお金を渡すと、新聞紙で作った袋に入れてくれました。そのおいしかったこと、すぐみんなたべてしまったものです」
北海道の冬の寒さは厳しい。寒さに弱いサツマイモの取り扱いのむずかしいところなので、冬は売る方も無難な干しいもに力を入れていたようだ。
東京国際大学の女子留学生でネパールのカトマンズ出身のシュレスタ・イチャーさんがきて、こんな話をしてくれた。
「向うにもサツマイモはあります。お年寄りは歯が悪い。かたいものはたべられないので煮たそれを好んでたべています」と。