「紅小町」という、かわいい名前のサツマイモがある。農林水産省が1975年(昭和50年)に育成したホクホクのイモで味もいい。青果市場でも家庭でも好評で、最盛時には関東を中心に全国で2000へクタールも作られていた。
ただツル割れ病にかかりやすく、作りにくいという難点があった.そのため1984年に作りやすく、味もいい「べニアズマ」が育成されると、たちまちそれにとって代わられ、今ではほとんど見かけなくなった。
当館では様々な生イモを展示し、その特徴を書いた紙を付けている。ただバスで来る団体客は1時にどっと入ってくるので、見学時間に限りがあるので、お目当てのイモが見つからない人もいる。

今日、川口市からきた50代の婦人の団体の中にもそんな人がいて、「紅小町はどこにあるの?」と聞いてきた。「これです」とその人の目の前にあるイモを示すと、「ああ、これこれ。これが紅小町。この頃は八百屋に行っても、べニアズマばっかりになっちゃったけど、ほんとうはこっちの方がおいしいの。紅小町よりおいしいイモはないわ」と、周りの仲間にそのすばらしさを説きだした。
その持ち上げ方がふつうではなかったので、わけを聞くと、みんなの前でこう話してくれた。
「うちの主人の育ち盛りは、終戦直後だった。だから食べ物といえばサツマイモしかなかった。それもまずい『オキナワ』(沖縄100号)や『イバイチ』(茨城1号)だったから、すっかりいも嫌いになっちゃったのね。だから結婚した時、なんと言ったと思う?

『おれは食いもののことについては、なにも言わねえ。ただサツマイモだけは食卓へ乗っけんな!』だったの。

わたしはそれを聞いて、あきれちゃった。だって昔は昔、今は今。今のおイモはおいしいものばかりじゃあない。それなのに意地になってサツマイモをうらんでいるんだもの。
でも子供を産んじゃうと、女の方が強くなるわ。わたしはサツマイモが大好きだから、クリーム煮なんかにして、子供たちと『うまい、うまい』と食べだしたの。
主人はにがい顔をして、そっぽを向いてたんだけど、ある日、子供の食べ残しのクリーム煮を口に入れたの。
怒られるかなと思ったら、なんとニコッとして『こりゃあうまい』と言ったの。ほっとするやら、嬉しいやら、おかしいやらで思わず『アハハハハ』とみんなで大笑いしちゃった。
以来、わが家のサツマイモ料理は晴れて解禁になった。その頃の八百屋の一番のお奨めは紅小町で、あのクリーム煮もそれだったの。だからあれは救いの神で、わが家では『紅小町様々』なの」