昨夏、小豆島の土庄町に行った時、ある鮨屋の主人から「サツマイモといえば渥美清も大好きだったんですね」と言われた。耳よりな話だったのですぐ確かめるつもりだったのがのびのびになり、今日になってしまった。

渥美は昭和三年生まれ。いわゆる「昭和ヒトケタ」だ。東京の上野に生まれ、役者としての経験を積むうちに、映画監督の山田洋次にめぐり会う。同監督の「男はつらいよ」の主役、寅さんを演じて大受けした。今から30年前の昭和44年(1969)のことだった。
それに気をよくした関係者は「男はつらいよシリーズ」を企画、毎年1~2作のペースで寅さんものを世に出してきた。最終作になった平成7年の「寅次郎紅の花」は第48作だった。如何にこのシリーズが当っていたかがわかろう。
渥美の人気は衰えることを知らなかったが、すでに体調を崩し、それを押しての出演が続いていた。それもかなわなくなり、平成8年の夏、亡くなった。68歳だった。
没後、国民栄誉賞を贈られているし、今夏には寅さんのゆかりの地、柴又に寅さん像もできた。それほどの大物だっただけに、渥美が亡くなると故人をしのぶ本もどっと出た。川越市立図書館でちょっと探しただけでも10 冊あった。

まず読んだのは渥美清が亡くなった直後に出た『寅さん、ありがとう!それを言っちゃあおしまいよ』(渥美清を送る会編、鹿砦社)だった。それには期待に反してこうあった。「昭和ひとけた生まれというのは、育ち盛りを大戦争の最中に迎えているから、本当にしょうがない。思想は鬼畜米英だし、食べものはない。特に東京の下町などは何もないといっていいくらいで、主食はサツマイモ、菜はカボチャ」だった。
「渥美もこうした環境の下町で育ったから、死んでもサツマイモは食いたくないクチだったろう」あれれっ、いきなりこれではだめかなと思った。それはそれとして渥美関係の本はどれも面白い。気を取り直して片っ端から見ていくと、一冊だけだったが探していたものが出てきた。役者で渥美清の付人でもあった篠原靖治の「生きてんの精いっぱい 渥美清」(主婦と生活社、1997)で、こうあった。
「地方へロケに行っても、食事はごく質素なものでした。朝は旅館やホテルの中の食堂での和食、昼はやはり日本そばかラーメン、またはふかしいも。夜もご馳走というよりはおいもの煮っころがしのような物を何品か選んで食べます」 「宿の人と仲良くなってくると、さつまいもをふかしてもらったりもします。渥美さんはこれが大好物で、ロケ現場にまで持って行くのです」
長年、「シノ、シノ」と可愛がられてきた人の証言だけに重みがある。渥美清はいも嫌いの多い世代の一人だが、他の人たちとは違っていた。なぜか、それが本当に好きだったようだ。