最近の関東のサツマイモは肉が黄色でホクホクの「べニアズマ」(紅東)一色だが、昭和30年代までは肉がまっ白で、ねっとりした「夕イハク」(太白)があった。今日、そのタイハクを分けてはもらえまいかと、70代の男の人が来た。12月9日の「読売新聞」の「編集手帳」も、当館の特別展の内容や狙いを紹介してくれる、ありがたいものだった。

太平洋戦争が始まったのは54年前の12月8日だった。その8日にちなむもので、書き出しは「紅赤、太白、農林1号、沖縄100号……。埼玉県川越市に、小さな『サツマイモ資料館』があり、そこに今秋収穫した40種のイモが展示されている」とあった。
埼玉県朝霞市在住というその人はそれを見て「ここだ」と喜び勇んでやってきたのだという。そしてそのわけをこう話してくれた。
「自分は兵隊に取られ、5年も中国にいました。最初は華北だったのですが最後は満州にいたため、終戦でシベリアへ連れて行かれてしまいました。そこの収容所でこき使われました。
復員は昭和22年の春でした。復員船で舞鶴に着き、故国の土を踏めた時のことです。土地の婦人会の人たちがサツマイモをたくさんふかしてごち走してくれました。それは身がまっ白で、ねっとりとしたあまい夕イハクでした。そのうまかったこと、あの味は決して忘れられません。
それから夢中で過し、気が付いたらジジイになっていました。トシを取ると昔のことや物が懐かしくなってくるものです。夕イハクもそれで、もう何年も前から探しています。でもどこをどう探しても無いんであきらめていたんです」

タイハクが珍重されたのは、あまいものが無かった昭和20年代までだった。戦争が終って世の中が落ち着き、砂糖がいくらでも安く手に入るようになると相手にされなくなり、何時の間にか消えてしまった。
それでも世の中にはいろんな人がいる。たとえば埼玉県でも秩父市の飯島久さんのように、だれがなんと言おうとタイハクだけを作っている農家もある。ちょうど飯島さんが送ってきてくれたばかりの夕イハクがあったので、数本分けてあげることができた。朝霞の人は「さすがは資料館だ。ありがたい、ありがとう」と心から喜んでくれた。