長野県の上田で農業をやっているという男の人が来た。昭和6年生まれという。当館売店で売っているサツマイモのクキ(葉柄)の「しょうゆ清け」を見て、こんな話をしてくれた。

「やあ、いものクキか。昔よく食べたなあ。これにお目にかかったのは50年ぶりかな。うちの方でも戦争中から終戦直後にかけて、サツマイモをたくさん作った。今は作ってないがね。
その頃の作り方? 信州は高冷地だから、ウネをできるだけ高くして、お日様の光がよく当たるようにしろと言っていたね。品種は護国いもだった。タイハクもあった。いもだけでなく、いもの蔓まで供出した。
蔓は町の製粉工場に持って行った。そこでは乾燥機でそれをカラカラに乾かし、粉にひいていた。それを小麦粉に混ぜていた。桑の葉も供出した。使い方はいも蔓と同じだった。粉になるものはなんでも粉にして、小麦扮に混ぜていた。あの頃の食べ物の質はそこまで落ちていた。」