当館の生イモ展示コーナーにはさまざまなイモが置いてあるが、昔懐しいものにベニアカ(紅赤。金時とも言う)とタイハク(太白)がある。ベニアカは肉がまっ黄色でホクホク。タイハクはその名の通り肉がまっ白。あまく、ねっとりとしている。べニアカも最近、めっきり少なくなったが、まだ時々八百屋で見ることができる。
ところが夕イハクは姿を見せなくなってから20年はたっている。そのためであろう、それを知っている世代の人たちは夕イハクを見るとものすごく欲しがる。「ああ懐かしい。1本でもいい、ねえ、ねえ分けて」となる。
当館には300平方メートルほどの付属農園があり、1品種5~10株ずつ20種類ほど作っている。タイハクもむろん作っているが展示用でいっぱいで人に分けるほどはない。そこでタイハクを売るほど作っている人を探していたら、うまい人にめぐりあえた。夕イハクは川越地方にはないが 「秩父にはある」という話を前々から耳にしていた。幸いそれを確かめる手掛りがあった。
「いも膳」のコックさんの一人に横田忠幸君がいる。秩父市の出身でお父さんは同市で鮨屋をやっている。顔の広い人なのでタイハク探しを頼むと心よく引き受け、まる2か月本気で探してくれた。そして秩父市阿保町2ー13の飯島久さんがかなり作っていることを突きとめ、堀りたての夕イハクを1箱(10キロg)見本として持ってきてくれた。
それは先々月の10月のことだった。これでタイハク入手のメドはたったが、わたしはそれ以上にこのイモにこだわっている飯島さんに会ってみたくなった。

10年ぶりに秩父夜祭に来たのは、それがあったからだ。昨夜は横田君の家に泊めてもらって夜祭を見物し、今日は同君のお父さんにめざす飯島さん家へ連れて行ってもらった。飯島さんは60歳前後のおだやかなひとだったが、夕イハクのことになると力が入り、一気にこう話してくれた。
「むかしはタイハクのように身の白いイモがいろいろあったが今はない。みんな黄色いイモばかりだ。だからタイハクを『幻のイモ』だなんて言っている人もあるよ。わしはタイハクがただ好きで作っているが、今この辺でそんなことをしている人はいない。みんな身が黄色のベニアズマ(紅東)だ。
べニアズマはタイハクよりずっと作りいいし量も取れる。だから夕イハクは消えちゃう。わしはそれが分かった時から本気になった。よし、夕イハクを守ろうと。それをどっかで聞いてくる人がある。横浜から毎年来る人なんかは、もう10年も来ているよ。『夕イハクだけは金で探したって見つからん』とな。
夕イハクはそんなにうまいイモかって? 食べ方を知ってればうまい。秩父の霜は早いから堀り取りも早く10月中旬だ。それをすぐ食べてはだめ。1~2か月、物置へでも入れておけばうまくなる。昨夜は秩父夜祭だったがタイハクがうまくなるのはちようどこの頃から。
ふかすとまっ白な身がねばるようにねっとりとしてくるし、あま味もぐっと強くなる。昔は干し芋といえば夕イハクに決まっていたが、それを作り始めるのも夜祭が終わってからだった」
飯島さんの家の2階には、泥付きの夕イハク入りの段ボール箱がたくさん大事そうに置いてあった。そしてどの箱にも掘った日と目方とを書いた紙が入れてあった。