今日は川越市立中央図書館で屋中定吉翁遍逮の『さつまいものお料理』(東京・六合館)を読ませてもらった。本書は100年も前の明治38年(1905)に出たものなので、埼玉県の公立立図書館にはなかった。それで川越の図書館に、静岡県立中央図書館にあったものを借りてもらったものだった。

著者は東京で「いも羊羹」の製造販売を最初に始めた人とあったので、期待して読んだが、本文の内容はどうということもなかった。143種類のサツマイモ料理の作り方があったが、そのほとんどは江戸時代の寛政元年(1789)に出たサツマイモ料理集、「甘藷百珍」からそのまま取っていた。それにない独自のものとしては、著者の得意とするいも羊羹ぐらいしかなかった。
それにもかかわらず本書から得られたものは多かった。本文に入る前の「まえおき」と「はしがき」、そして「おいものおはなし」が、サツマイモ事情に精通している著者ならではのものだったからだ。

「まえおき」によると屋中家は江戸時代からの江戸のいも問屋で、江戸城本丸御用のサツマイモも納めていた。著者はそこの三代目だったが、若い時に転業し、「いも羊羹というものを初めてこしらえた」とある。明治38年刊の本書で、「翁」を自称しているところから見て、それは幕未から明治初期にかけてのことと思われる。いまの東京のいも羊羹の老舗といえば浅草の「舟和」になろう。その創業は明治35年(1902)だから、屋中翁のいも羊羹がいかに早かったかがわかる。
しかも成功した。「只今では段々と需要者もふえまして、お陰様で日増しに繁盛いたしますので、随って製造するお店も沢山に出来ました様です」とある。

次は「はしがき」。その中の屋中説が一番おもしろかった。
「さつまいもは食物の中でも一番陽気な食物でして、大きければ笑い、曲っていれば笑い、食べ過ぎてはまた笑い、実にこれほど笑う食物はありますまい。笑っておりさえすれば家内は大和合」
言われてみれば本当にそうだ。だれもが「そうそう」、「ほんとほんと」とうなずくに違いない。たべものとしてのサツマイモの特性をこれほど上手に表現した人はほかにあるまい。

焼き芋も、いも羊羹もシンプルなものなので、出来の良し悪しはいもそのものの品質で決まってしまう。したがっていもの良し悪しを見分ける目がないと、この商売は繁盛しない。屋中翁はいも問屋に生まれ、最初は家業に従事していたこともあって、それには自信があった。それが「いものおはなし」によく出ている。
それによると明治の関東のサツマイモ産地は次の3か所だった。早稲の本場は鎌倉地方の皮の白い「白いも」。中手は千葉県の下総地方のいもで、「薄赤芋」、「上赤芋」そして「白芋」。その旬は10月から12月。

「それから奥手になりますと川越地方に限る様に思っていられる様ですが、それは季節によってのことで、右に申す通り早稲わ鎌倉、中手わ下総、奥わ川越と申す様にその土地での出盛りのころが一番おいしいのです」
世間ではいもと言えば川越だが、それは冬のものだ。時期によっては、他にもいいいもがあるのだから、それも便うことを勧めている。
ちなみに川越いもは江戸の焼き芋屋用のいもとして発展したものだった。晩秋に収穫したいもはそのまま貯蔵され、冬になってから出荷された。そのため江戸時代から「囲いいも」として知られていた。