今年、平成17年(2005)は戦後60年になる。昭和6年(1931)生まれの自分自身を含めて、戦前生まれは年々少なくなり、いまでは日本の総人口の四分の一にしかならない。こうなると絶対多数派になった戦後生まれの人たちのサツマイモに対する感覚がわからないことには、当館の什事はこなせない。
今日取材にきてくれたある雑誌の若手女性記者にそんな話をすると、こんな話をしてくれた。

「わたしは長崎県諌早市の出身です。おいもはいくらでもあるところで、子供の頃から大好きでした。旅行で沖縄に行った時もおみやげに紅いものお菓子を数種類買ってきたほどです。おいもの産地の者がですよ。
ただ諌早には屋台の石焼き宇屋はなかった。その後東京の大学で学ぶことになって上京したら、それがいくらでもあったのです。もう嬉しくって、嬉しくって。ずいぶん買ったものです。
街の中で石焼き芋を買うことへの抵抗感ですか? ちょっぴりありました。あれをたべるとオナラがでると言いますね。それを女子大生が買うんですから。
わたしたち女性にとってのおいものイメージですか?
あまくって、あたたかくって、しあわせいっぱいというところかな。だから女性でおいもが嫌いという人はいませんね。
それと『デザート』。それもおしやれで高級な。その代表がスイートポテト」

それでわかった。さいきんの郡会のデパ地下で客が群がっているところの多くがスイートポテトや大学いも、そして銘柄いもを使った焼き芋の売り場であることが。
 戦前から戦後の経済の高度成長が始まるまで、サツマイモは米が取れない地域や米があっても貧しくて買えない人のものとされ、格の低いたべものとされてきた。それがいまでは豊かになった食生活のデザートの1つにまでなっている。サツマイモもずいぶん出世したものだ。