今日は東京都練馬区立大泉中学校の職員研修会に講師として招かれた。内容はサツマイモの歴史、そのたべ方、そしてプランターでの栽培法だった。
それが終って雑談になった時、ここの校長先生がこんな体験談をしてくださった。

「私は伊豆の三宅島の中学校に勤めたことがあります。昭和50年頃のことです。生徒と先生が一緒にサツマイモを作ることになりました。焼き畑に向いている山の木を伐り、火をかけます。そのあとにサツマイモの苗を植えました。
苗は順調に育ち、やがて焼き畑はいもの葉で埋まりました。秋がきて豊作間違いなしとなり、みんなでいも掘りをしました。ところがどうしたというのでしょう。いもがないのです。たまにあってもそれは細かいくずいもばかりです。
おかしいな、こんなはずはないぞとつるを刈り取ったあとの畑をよく見ると、モグラが通ったあとのように上が盛り上り、でこぼこの道のようになっているものが何本となくありました。これが怪しいとなり、それを足で踏みしめながらたどっていくとどれも畑の片隅に行き当りました。そこを掘ってみると大穴になっていて、中は大いもで埋まっていました。それはネズミの仕業です。冬の食料として、いいいもをそこに貯め込んでいたのです。
先生たちはそのいもを生徒たちにたべさせてよいものかどうかで迷いました。ネズミたちは畑に縦横にトンネルを掘り、それを使って上の中のいもを喰いちぎっては大穴に運んでいたようです。そのためどのいもにもネズミの鋭い歯による傷がついていたからです。結果ですか?残念ながらたべないことになってしまいました。」

ネズミは馬鹿にできない。恐ろしいものだと改めて思った。というのは宇和海に浮かぶ愛媛県の二つの島がひどい目にあっているからだ。昭和24年のことだった。戸島に突然大量のネズミが発生した。その一部は海を泳いで西隣りの日振島に上陸、ここでもネズミ算式に増え続け猛威を振るった。島の人たちはイワシの宝庫といわれた宇和梅でそれを取り、いりこにして売った。同時に自家用の食料としての麦とサツマイモを段々畑で作っていた。ネズミは浜で干しているいりこも、段々畑の作物も喰い荒らし十年問も暴れ回った。
その惨状は吉村昭氏の作品『海の鼠』新潮社、昭和48年)に詳しくある。またなぜそういうことが起るのかということについての考察は、この地方の段々畑の保存運動に力を入れられている宮本春樹氏の近著『段畑からのことづて』(創風社出版、2006年)にある。