今春(平成19年)、川越市に「小江戸川越観光親善大使」という制度ができた。ぜんぶで13名で、わたしもその1人に選ばれた。その人たちの夏のある日の集りの時、川越姉妹都市交流委員会の代表でもある立原雅夫さんがこんな話をした。

「今年は川越市がフランスのブルゴーニュ州のオータン市と姉妹都市になって9年になる。それを祝い合うために有志を募り、今秋向こうへいくことになっている。みなさんも参加しませんか」
わたしはヨーロッパに行ったことがなかった。サツマイモのないところには興味がわかなかったからだ。それが親善大使になったとたんに気が変った。川越の海外姉妹都市は3つもある。アメリカのセーレム、ドイツのオッフエンバッハ、そしてフランスのオータンだ。その一つぐらいはいってみなくてはと。
その募集は市の広報でおこなわれ、30人ほどの市民団ができた。わたしも家内と応募し、一緒に仲間に入れてもらった。一行がオータンに入ったのは10月2日だった。暑からず寒からずの時で晴天が続いていた。

オータンはパリの東南300キロメートルほどのところにある。なだらかな起伏がとこまでも続く大平野の中の古い町の一つで、2千年以上もの歴史がある。一人口は2万人ほどで少ないが、町のいたるところにローマ時代の遺跡がある。それをヨーロッパ各地から見学にくる人が多
く、優れた観光地にもなっている。

わたしたちがオータンに入ったのは正午過ぎだった。さっそく市役所に出向き、そこのホールでの記念式典に参加した。その日の夜は市役所のそばのレストランでの向こうの人たちとの会食だった。
会場には大きな食卓がいくつもあり、その一つに十人ほどずつが着いた。席は最初から決められていて、川越の人と人と間にオータンの人が入るようになっていた。それはありがたいことだが、わたしたちのテーブルには本職の通訳がいなかった。それでフランス語がわかる人たちが臨時通訳になってがんばった。
わたしと家内との間に座ってくれたのはオータンの姉妹都市交流委員のロジェさんだった。わたしはフランス語はまったくわからない。ただ家内が少しならわかるので同氏とのやりとりはそれに頼るしかなかった。

ロジェさんは60歳台の紳士で、唐桟(とうざん)のネクタイを締めていた。席につくなりそれを手で示し、これは去年オータンにきた川越の人からもらったものだと言った。
唐桟はたて縞の粋な高級木綿で、川越は暮末から明治にかけてその産地として知られていた。その後はだんだん振わなくなり、昭和の初めに途絶えた。それが戦後に復活し、いまではそれで作ったさまざまなものが川越みやげになっている。
唐桟の基本の色は藍色だが、さいきんはそれにとらわれないものもふえている。ロジェさんのネクタイは明るい茶色を基調とするものだったが、さすがはおしゃれで着こなしの上手な国の人だ、ネクタイに合わせて茶系統のシャツとジャケットを着込みピシッと決めていた。
そのことをほめると、川越にはほかにどんな名産があるかと聞いてきた。得たりと、ここにはないからわからないだろうがサツマイモといういもがある。川越はそれで日本中に知られていると答えると、ロジェさんは意外なことを言った。

「サツマイモ(パタタ・ドース)?、知ってる、知ってる。ここにもそれを置いている店があるから。ただジャガイモ(ポム・ド・テール)と違い、ちょっとだけだ。
ジャガイモはどこの家でも毎日たべるものだから、それを置いている店も多いし、量も種類も多い。それに値段も安い。サツマイモはそれと比べると値段が高い。ジャガイモの2倍以上もしているからね」
オータンにサツマイモがあると聞いて驚いた。それに勢いを得て調理法を聞くと、こっちはがっかりだった。相手が「たべ方?知らないね。たべたことがないのでね」と言ったからだ。
サツマイモの産地がどこで、どういう人たちが買って、どう調理しているのかを知りたかったが、それは別の機会に譲るしかなかつた。

わたしたちの宿はナポレオンも泊まったことがあるという由緒あるホテルだった。オータン2目目の10月3日は早朝から夕方までの市内名所めぐりだった。ここの建て物はどれも石造で、外壁にツタを這わせているところが多い。それがまっ赤に紅葉していて実に美しい。そんな情景を眺めながら古都の秋を楽しむことができただけでも、ここにきて本当によかったと思った。
その夜は宿の食堂で開かれたオータン市民主催の歓迎会に招かれた。長いテーブルを一列にいくつもつなぎ、その片側にわたしたち、反対側に向うの人たちが座った。
わたしと家内の向い側は熟年の女性たちだった。女性ならサツマイモのことをよく知っているかもしれないと思って聞いてみたが、答えは前夜のロジェさんとまったく回じだった。
サツマイモは知っている。オータンにもそれを売っている店があるから。でもたべ方がわからないから、買ったことがないとのことだつた。

これは帰国後のことだが、こんどの旅で一緒だった市役所国際交流課の盛田課長さんにオータン関係の日本語の本の有無を尋ねた。すると小倉尚子さんの『オータン物語』(新樹社、1997)と『続オータン物語』(同社、2003)ぐらいしか知らないとのことだった。
小倉さんは1932年生まれ。1965年からずっとオータンに住んでいるという。東京大学農学部で農業経済を学んだ人だけに、フランスの農業事情にも明るい。幸いその二冊とも入手できたので一気に読んだ。
その『オータン物語』の「朝市」にこうあった。オータンでは毎週の水・金に市役所前の広場に朝市が立つ。そこにはタイの香米を売る中国系ベトナム難民の小父さんや手科理の春巻、焼売、炒飯などを売る中国系ベトナム人の若い姉弟も現われると。
それでわかった。オータンにもアジア系の人がかなりいて、その人たちがサツマイモをたべているらしいということが。